戯言日記

話半分

読書記録:太宰治『 人間失格』

文豪の本読まないといけないな……という義務感から読みました。太宰治の『 人間失格』。

およそ149ページとかいう短い話なんですが、最近本を読んでいないからか、それとも内容のせいなのか文体のせいなのか、予想以上に読むのに時間がかかってしまいました。

話の感想を一言で表すと、とても気持ちの悪い話でした。いや、別にグロが出てきたり猟奇的な話ではないのですが、読後の感想はとにかく「気持ち悪かった」でした。まえがきと同じような感想です。とにかく、「気持ち悪かった」。単に気持ちの悪い話だった、というよりは、それが遠い話ではなく、ふとした拍子に、気が付けばすぐそばにあって気味悪がる、みたいな、そういう気持ち悪さがありました。夜道に歩きスマホしてたら、気が付くと知らない変な道に出てる、とか、危うく用水路にはまりかける所だった、とか、例えが下手くそだけど、そういった感じです。



~~~以下ネタバレ~~~~



はっきり言うと、なんだかすごくダブっちゃうんですよね。「もう駄目だ」「もうしない」と思いつつも、どうしようもなくやめることも止まることもできない、その自制心のなさというか、逃げ続ける姿勢が。はたから見ればいくらでも状況を変える/変えられるチャンスはあるんです。でも、本人にはそれがわかっていない。はたから見ればそこまで思い悩まなくてもいいのに、と思うことでも、本人からはひどく大変なものに見えている。いや、言い換えましょう。「ひどく大変なものとしてみることができる」のです。これは当人にしかわからないような悩みですし、かつ周りの状況からくるもの、というよりは、当人のとる立場や状況次第なんです。だけども、当人にはその気力や気概がない。やり方がわからない。目の前に解決法があれども、当人はそれに辿り着く方法を知らない、というか、目隠しを外して見ようとしない。手を動かさない、いや、動かせないのか?
とにかく、そんな状況がダブって見えてしまうのです。それが「気持ちが悪い」。そんな話でした。



(書いて思ったけど、特にネタバレでもちゃんとした感想でもなんでもなかったな())

愛情と心配

愛情にも色んな種類があって、ひとくくりに愛情とは呼べないんじゃないか、とここ最近思う。


〜〜〜
多分また後日、書き直すことになると思います
書いてから思ったけど、それなら「心配にも種類がある」のが正解な気もするんだよな、ただでも「愛情から心配する」のと「心配を愛情だと思う」ことは別だと思う、これが言いたいけどまとまらなかったな、というおきもち( 'ω'o[Now]o
〜〜〜〜




とあるツイートが流れてきた。「海外では「愛してるわ」といった直接的なことを言う文化は日本にはないけれど、日本にもそれに該当するものがあった。「ご自愛下さい」とか、「気をつけてね」とか、心配する言葉が日本で言う「愛してる」なのだ。」と。たしか、そんな内容だった。


そも、「心配すること」は愛情なのであろうか??
個人的にはどうも、違うように思う。
「あなたができるか心配で」「どうしてるか心配で」という様なことは、よく「愛情表現だ」と捉えられる。
しかし、その反対の「あなたはできると思ってた」「元気に過ごせてると信じてた」(というと、なぜだか一見冷たい様に感じてしまうのが不思議だが_____)という言葉達は、「信頼」を表す言葉だ。


愛情の反対として、よく無関心が挙げられる。これは概ねただしいと思う。では、「信頼」は無関心足り得るか。
信頼と愛情が並列することに、矛盾はない。
無関心と信頼の関係は、「信頼しているからこそ関心が薄い」、とも考えられるが、必ずしも信頼しているからといって愛情がない、とは結びつけることが出来ない。


私の祖母も、「心配」と「愛情」を同一視する傾向がある。彼女はその愛情を表すために、あらゆるものを心配する。帰宅、生活、交友関係、健康状態など___
勿論、「気にかけてくれている」のはとてもありがたい。ただ、彼女は何から何まで、あらゆる物を心配するのだ。「本当に心配してたよ______本当に心配で_____」

ここに、「愛情=関心」と「心配」の混同が存在しているように思う。

はたして、心配は愛情なりや?
答えは違う、と私は感じる。
「大学はここに行きなさい、これはお前の将来を心配してのことだ」
「門限は夜6時。それ以上遅いのは心配だから。」
「異性交遊は禁止。男の子と遊びに行くのはダメ。お前が心配だから。」

はたして、これらの「心配」は愛情なのだろうか。
信頼することも、また愛情とは違わないのではないか。その人はなしえることができる、と信頼することも、愛情のひとつではないか。
これらの心配はどちらかと言えば「執着」の様に、私は感じる。


上記のツイートをみて、私は真っ先に祖母のことを思い出した。優しい祖母。だけど、なにかとつけて「心配」したがる祖母。
もしかしたら、愛情と心配の混同は、日本の文化的な要素の影響が強いのかもしれない。別れの間際に、直接的な愛の言葉ではなく、気遣う言葉で相手への関心を示す文化の影響が。


そも人間は、愛情と執着を混同しがちではないか_____と言う話はおいおい、また別の機会に考えたいと思う。

青春の音楽

青春の音楽、と言われて、思いつくのはなんであろうか。

私の場合、思いつくのは相対性理論パスピエ(初期)、テイラースウィフト、きのこ帝国、ヒトリエ、ボカロ曲色々、あたりが主な青春の音楽として挙げることができるだろう。


音楽が好きで、色んな音楽を聴いてきたし、色んな音楽を聴いて色んな気分になったり、色んな場面で色んな音楽を聴いてきた。

人の趣味趣向は、ある程度時の流れと共に移り変わるものである。聴きすぎて飽きたり、前はそれほどでもなかったのに、聴けるようになったり。

音楽を聴く時、人はある程度何かしらの感情と結びつけて聴くものではないかと思う。聴くとワクワクしたり、少しノスタルジックになったり。




最近、相対性理論パスピエ(初期)の曲を、以前と同じ気持ちで聴くことが難しくなってしまったように思う。以前聴いている時に感じていた気持ちになることが難しくなってしまった、というか。


私は相対性理論パスピエを聴いていた時、一種の万能感のようなもの、ワクワクする気持ちを感じていた。これからどこへでも行けるような、これから誰にでも会えるような、これから何者にでもなれるような。


しかし時が経ち、ある意味大人になってしまった。大きくなって、もう気にしないでいられるようになったと思っていたのに、周りの目を気にするようになってしまった。「年相応の振る舞い」などというものを考える余計な思考がまとわりつき始めた。

もう何も考えないまま、ブランコで立ち漕ぎをして靴を飛ばすことはできない。鬼ごっこをするだけでげらげら笑えるほどではない。ドッヂボールの最後に、ボールの押しつけあいをできるほどでは無い。

体力と精神力の衰えを感じるようになってしまった。遊び倒すこと、続けること、エネルギー不足を自覚するようになった。

私は年齢としても、抱く気持ちや振る舞いとしても、少年少女ではいられなくなってしまった。それは誰も禁止していないはずなのに、暗黙の了解とでも言うかのように、「大人にならなければならない」という思いがチラついてしまう。

「大人にならなければならない」
「小学生じゃないんだから」
「将来のことを考えないとダメじゃない」

これからどこへでも行けないような、これから誰にでも会えないような、何よりも、これから何者にもなれないような。そんな気がしてきてしまうのだ。


大人になんかなりたくない、少年少女の万能感のまま、自由に過ごしていたかった。

だけれど時は止まってくれない。見た目も年齢も、年老いていく。待っておいてはいてくれない。

もしかすると、前を向いて進んでいかなければならない、という罪悪感があるからこそ、聴けなくなってしまっているのかもしれない。旬を過ぎて醜いまま、何者にもなれない自分が見えてきて怖いから。

だけれど時は止まってくれない。見た目も年齢も、年老いていく。待っていてはいてくれない。

少年少女という殻を捨てて、前に踏み出さなければならないのだ。ご飯を食べていくために、日々を暮らして行くために、世界で生きていくために。
誰も超能力なんて持ちやしない。魔法なんて使えやしない。

怖いのは責任があるからだ。何者にもなれない気がするからだ。夢見てきていたものに、自分が遠く届かない存在になるのが怖いのだ。

だからといって、なにもしないままくたばる道理もない。怖いからといってなにもしないままより、ほんの1歩でも3歩でも、前に進んでいく方がよっぽど何かに近づける。

実を言うと、中途半端に何者かになれる気が、きっとまだどこかに残っているのだ。そのくせなれないことにも薄々気がついていて、直視するのが怖いのだ。頑張るのが怖いのだ。緩やかに死を迎えて、現実としてそれが現れるのを待っている。

何者かになることを、諦めるにはまだ早い。何者かにある日突然なれることを夢見るのには、諦めるのは今この時だ。


青春時代にお別れを。何者かになることを諦めて、何者かになるために、もう一度、曲を聴き直そうと思う。まだ歳は若いのだ。諦めるにはまだ早く、諦めるにはいい歳だ。

ブログについて。

こんにちは。

文章練習がてらにブログを始めよう!と思ったはいいものの、何を書いたらいいのかさっぱり思い浮かばず放置していたら、やっとココ最近ネタを思いついてきました。

このブログは筆者の文章練習がてら、思考整理がてらのブログです。
筆者は文章を書くのがかなり下手くそです。誰かに伝える文を書くのが。まとまりがなく、バラついていることと思います。そしてかなり、くさいこと書いてると思います。現役厨二病なので許して下さい。鼻で笑ってやって下さい。堪忍。